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ラッセル・クーツ来日記念 SHIMA SEIKIカップ
2003年7月18日〜21日 ラッセル・クーツの来日を記念し、島精機製作所の特別協賛のもと、SHIMA SEIKIカップが開かれました。 特別招待選手として、1996年アトランタ五輪の金メダリスト、そして2001年世界選手権のチャンピオンである、ウクライナのBraslavets/Matvienko組が参加。そして日本のナショナルチームからも男女7艇が参加し、総数は少ないながらも、高いレベルのフリートが集まりました。 結果は優勝。プレオリとワールドに向けて、いい弾みがつきました。 レガッタは4日間、微風から強風まで、変化に富んだコンディションだったのですが、もっと変わっていたのが、今回の得点制度です。 ヨーロッパ選手権と日程が近すぎたため、招待選手のウクライナと、一部のナショナルチーム選手が、やむなく途中からの参加になりました。その途中参加の選手は、参加していないレースを全て、参加したレースの平均点で救済する措置が取られたのです。これで話は、少々ややこしくなります。 前半2日は、南寄りの軽風、、、なんだけど、時折激しい雨とともに、激しいブローがやってきて、激しく順位が入れ替わる、激しいレースの連続。あぁ激しい。 金メダリストがいないうちに稼いどけ〜とばかりに、僕らはこの時点でトップに立ちます。 が、いざ役者が揃った3日目。いきなり金メダリストがトップ連取。 いや、感心してる場合じゃない。こいつらを倒さないと、アテネに日の丸は上がりません。気合いを入れ直し、第8レースは1上をトップ回航。そのままリーチングでかっ飛ばし、サイドマークを回ってからはパンピングパンピング!おりゃ〜〜〜離すだけ離したる!! ピーーーー! え!? スタート前にイエローフラッグが上がるのを見ていた僕は、これでもかとパンピングを繰り返していたのですが、実は予告信号と同時に、フラッグは降りていたらしいのです。ひえ〜〜 すぐにスピンを降ろし、720°ターンを完了。それでもトップを守っていたんですが、2回目のダウンウインドでブローを逃し、結局2位でフィニッシュ。ガーーーーン! とショックを受けていたところに、ジュリーボートがペナルティーの説明に来ました。いやいや、説明も何も、イエローが降りていたなら、誰が見てもパンピングしすぎでアウトです。100%納得いくので大丈夫です。じゃ、次のレースに向かいます。 と、タックをしたところに、エンストして操舵不能になったジュリーボートがドカン!!なんと侍のどてっパラに激突。まさに切腹状態。おお、なんてこった!! その日の最終レースをリタイアして、侍は修理工場行き。夜を徹しての修理作業で、なんとか最終レースを戦える状態になりました。 が、肝心のレースは、微風から超微風。最後には全くの無風になってしまい、なんとタイムリミット。あちゃ〜〜やってしもた。 と思いきや、優勝を争っていた三部チームとウクライナチームが、ともに順位が悪かったため、彼らの平均点が下がり、優勝は僕らに転がり込んだんです。なんという幕切れ。ごっちゃんで〜す。 と、ラッキーな優勝をした訳ですが、今回の遠征の目標は、優勝ではありません。レースとその後の合宿を通して、金メダリストから技術や考え方を、盗めるだけ盗むことです。 思えば今まで、ずいぶんいろんなメダリストが来日しました。アジア大会の金メダリストに始まり、ジュニアワールドのチャンピオン、女子の金メダリスト、そして男子の銅メダリスト。そして今回はついに、男子の金メダリストです。 まさに誰よりも速かった、sailfastだった男たちです。 彼らを越えることが出来れば、その先にはアテネの表彰台が待っています。侍が切腹しても、落ち込んでるヒマはないんです!さ、明日も練習練習。 sailfast | Profile | NEWS | Photo | Diary | Link | BBS | Shop |
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