最新情報

関/轟組が、見事に銅メダルを獲得!
女子の吉迫/佐竹組も最終レースでトップフィニッシュし、総合11位で終えました。
代表のみなさん、お疲れさまでした!

支援Tシャツ

Tシャツ販売は
7月末で終了しました

Since 01/Nov/1999
Sorry, Japanese only.
最新Photo

中古艇販売は
終了しました
EURO 2004
3月16日〜20日
Olympic Garda
3月26日〜30日
Barcelona Olympic Week
4月3日〜9日
Princess Sofia Trophy
4月17日〜22日
International Spring Cup
5月7日〜16日
World Championship
8月14日〜29日
Athens Olympic Games
更新情報
リンクにフルハイクと同志社ヨット部を追加。
それと、各コーナー間の移動がしやすくなりました。ページを一番下まで読み進んでも、コーナー移動ができるようにしました。
ページトップのタブもマウスオーバーで色が変わります。
いまさらですが・・・
お問い合わせ
sailfastの内容を無断で引用、転用、転載しても問題ありません。OKです。もちろんリンクフリーです。
お問い合わせは以下のアドレスで受け付けます。
akira@sailfast.jp
hiroki@sailfast.jp
No rights reserved by sailfast
1999-2004
セーリング男子470級で、アテネオリンピックの表彰台を目指して活動していた、石橋/後藤組のサイトです。
誰よりも速く走りたい
その思いを込めてsailfastと名付けました。

企業に所属していないため、活動資金は、スポンサーの広告収入と、支援Tシャツの販売で賄っています。

活動にご共感いただけた方は、Shopコーナーで、支援Tシャツを購入していただけると幸いです。 よろしくお願いします。

石橋顕(いしばしあきら)171cm/65kg(ヘルムスマン、写真左)
後藤浩紀(ごとうひろき)175cm/72kg(クルー、Web担当)
所属:福岡ヨットクラブ
JOC(日本オリンピック委員会)強化指定選手
JSAF(日本セーリング連盟)特別強化指定選手

スポンサー:ヤマザキナビスコ、モビーディック、ノダ&アソシエイツ、ミズノ、ニュースキンジャパン
フラワーショップ Julia、新和風料理 柚香、ルネッサンススポーツクラブ、九州色材化学

西暦 石橋顕 後藤浩紀
1973 10月17日、福岡市西新病院にて誕生。
曾祖母他界の数時間後に生まれ、
その生まれ変わりと呼ばれる。
8月25日、福岡市内、森産婦人科にて誕生。
3800gのデブで逆子、帝王切開だった。
生まれる前から親に迷惑をかける。
1979 保育園に通っていたが、なぜか登園拒否。あまりの長さに親もあきれ、意地の張り合い。卒園式までとうとう行かず。あまり意味のない負けん気は、この頃からあった。 福岡市から健康優良児として表彰される。
が、医者には肥満児と診断され、幼心にショックを受ける。
1980 福岡市立大原小学校入学。 福岡市立小笹小学校入学。
1982 引っ越しの為、福岡市立内野小学校へ転校。実はここでも2度目の登校拒否、3ヶ月後普通に登校し始める。友達は毎日家に呼びに来てくれていたのに、行かなかった理由は未だ分からず。 肥満の解消のため、少年野球クラブに入部。おかげで小太りさんは返上。実はこの時サッカー部に入らなかった事を、今でも後悔している。きっと日本代表で高原とツートップを組んでいただろう。
1986 福岡市立早良中学校入学。陸上部中距離に入部。 福岡市立平尾中学校入学。バスケ部に入部。
1987 部活動に励むが、市大会止まり。
走るセンスはあまりなかった。
部活動に励むが、区大会止まり。
バスケのセンスはあまりなかった。
1988 一番可愛がってくれていた祖父が他界。祖父が願っていた修猷館高校入学を、この頃から意識し始める。 公立高校の受験に失敗し、人生最初の大きな挫折。
しぶしぶ私立の西南学院へ。
1989 祖父の家の目の前にある福岡県立修猷館高校へ合格し、誰よりも先に祖父へ報告。入学後中学時代の陸上部の先輩に誘われヨット部入部。が、入部した次の日にその先輩は退部。複雑な心境のままとりあえずヨットを始める。 修猷館高校の目の前にある西南学院高校入学。ラグビー部とヨット部のどっちに入るかで悩み、どっちでもいいや!とコインの裏表でヨット部に決める。
1990 とびうめ国体強化の沖縄合宿へ参加した事が自信につながった。インターハイ予選を勝ち抜いたが、学校側の登録手違いにより出場権剥奪される。これがきっかけで日本一への執念が芽生え、猛練習に励む。 ヨットの魅力にたちまち取りつかれ、猛練習の日々。とびうめ国体、少年男子スナイプ級で優勝。その勢いで、好きだった女の子に人生初の告白。努力が必ずしも報われない事を教えられる。
1991 インターハイ会場にて右手骨折。ドクターストップかかるが強引に出場し4位。ギブスがとれた直後の国体で、念願の優勝を勝ち取る。 インターハイ、国体ともに惨敗。そして早稲田大学の受験にも失敗。浪人決定。経験した事のない挫折感を味わう。
1992 早稲田大学人間科学部へ入学。ヨット部入部。インカレに出場するがDNFをとり、誕生日に坊主になる。 浪人をしながら、人生についてあれこれ考え、ヨットで生きて行くことを決意。
1993 三戸浜の練習のおかげで強風が得意になる。
この頃同級生の吉峰君と切磋琢磨する。
同志社大学文学部へ入学。ヨット部入部。
470を希望するも、無駄な抵抗。
1994 故郷小戸での全日本インカレ。
470級MVP獲得。

故郷小戸での全日本インカレ。
スナイプ級MVP獲得。

1995 ヨット部主将になり、組織とリーダーシップの難しさを痛感。
この頃から起業を夢見始める。
全日本インカレ個人戦優勝。
団体戦も優勝。
1996 東陶機器株式会社(TOTO)へ入社、東北支社(仙台)へ配属される。ヨットの第一線から少し離れるが、頃良くみやぎ国体強化が始まり復帰する。 ヨット部主将になり、全日本インカレ総合優勝。これでどうだと、ふられた同じ相手にもう一度アタック。人生の厳しさを教えられる。
1997 仕事とヨットの優先順位を迷いながら、両立を図る。 オムロン株式会社へ入社。
念願の470クルーに転身し、シドニー五輪を目指す。
1998 ヨットへの思いが強くなるのを分かりながら結果が残せず、現状維持。 ナショナルチーム入りし、初のヨーロッパ遠征。
世界選手権で、自分は井の中の蛙だと痛感。
1999 世界選手権へ初出場し惨敗。初めて世界のトップを肌で感じ、この世界に飛び込む事を決意する。3月に退社。
7月のシドニー国内最終選考も敗退。
10月より中村/中村組のサポートとして、シドニーの最終選考に帯同。惜しくも代表を逃し、さらにオリンピックへの思いが強まる。
2回目の世界選手権で、会社員セーラーの限界を感じる。
7月のシドニー国内最終選考も敗退。
すでに会社を辞めていた石橋と意気投合し、11月に退社。同時にキャンペーンサイト、sailfastを立ち上げる。
12月より井嶋/生田組のサポートとして、シドニーの最終選考に帯同。最終選考の厳しさを肌で感じる。
2000 極寒の仙台の木造アパートで、二人暮らしをしながら活動開始。
帰る金もないのに、無謀にも3ヶ月のヨーロッパ遠征を敢行。
支援Tシャツを発売し、そのお金でなんとか帰国。
7月7日、石橋が7年間付き合った彼女と結婚。
会社を辞めた一文無しとの結婚を許してくれた彼女の両親に感謝。
2001 極貧。この年の生活の苦しさは一生忘れられない。
ヨーロッパ遠征では強風下の走りに手応えを感じる。
みやぎ国体成年男子470で2位、アジア選手権銀メダル。
ナショナルチーム選考レースも3位で涙を呑む。
2002 活動拠点を福岡へ、三船コーチと活動開始。
根性論から科学的アプローチへとスタイルが転換していく。
9月、世界選手権にて国別9位でオリンピック国枠獲得。
10月、福岡オリンピックウィーク優勝。
11月、後藤が13年間ふられ続けた相手と、ついに結婚。
12月、ナショナルチーム選考レース優勝、プレオリンピック代表獲得。
2003 春の遠征ではケガをして緊急帰国。
満を持して臨んだプレオリンピック、世界選手権、共に惨敗を喫する。
12月からはオーストラリアに武者修行。
2004 ついに最終決戦の年。
5月の世界選手権(クロアチア)、そして8月のオリンピック。
この5年間で積み上げてきたものの真価が問われる。

sailfast | Profile | NEWS | Photo | Diary | Link | BBS | Shop