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第32回全日本470級選手権大会
2003年11月20日〜24日 アテネまでの最後の国内レース、最後の全日本が終わりました。ハイ、終わってしまいました。 今年の全日本は4年に一度の、もっともレベルの高くなる大会。しかもオーストラリアとオランダから、本物のトップ選手が特別参加していました。 が、そのフリート全体を4つのグループに分け、グループ同士の総当たり制にしてしまったせいで、最後までトップフリートが分割されてしまいました。我がチームがWilmot/Pageと戦ったのは、8レース中わずか2レース。それが残念でなりません。 成績表に同じ順位が2つあるのはそのためです。全日本選手権にこの方式がふさわしいかどうか、再考の余地があると思われます。 - - - - - - - さて、肝心のレースですが、レガッタ直前の雨ベタから打って変わって、全般的に風に恵まれた大会となりました。 初日は5m/s前後の軽〜順風。我がチームは気合い十分で臨んだものの、もう一つ調子に乗りきれません。しかも第2レースでは、思いっきり風を読み違え、14位フィニッシュ。初日から爆弾を抱えてしまいます。この日を終えて7位。 明けた2日目。朝から北西の季節風がピューピュー。 とスタート良く飛び出すのですが、この風でもイマイチ伸び悩み、4位で1上を回航。フリーで3位に上がり、さぁ前に追いつくぞ。と2上にさしかかるその時!タックでなんと、 僕の背中がブームのクリートに引っ掛かり、撃沈。マ、マジか〜〜!! 急いで沈を起こし、抜かれた3艇を追いかけます。 今度はなんとバウ沈。マ、マジか〜〜〜!!! たかが10m/sそこらの風で、2度も沈をして11位フィニッシュしてしまいます。そんなバカな・・・ いや、正直言って、この日はマジで沈みました。強風で前を走れないどころか、あろうことか2度も沈するなんて。堕ちるとこまで堕ちたな・・・と、深い闇の中に沈み込んでいきそうになりました。 こういう時にありがたいのが、応援してくれるみなさんの存在です。だって、もう自分たちだけの戦いじゃないんだから。 そう!落ち込んでるヒマはないんです!落ち込んでるヒマがあるなら、この全日本から何かを得なければ。 そう思い直して、その日の夕方、Wilmot/Page達と一緒に温泉に行きました。なにせ彼らは、その時点でオールトップ。しかもそのトップの内容が、半端なダントツじゃありません。一体なにが違うんだ?湯船につかりながら、僕らは彼らに質問を浴びせました。 ビクターの教え子に共通することですが、彼らのフネにはコンパスがついていません。コンパス無しで、いかにしてあれだけ正確にコースを引くのか。なんとか聞き出そうと詰め寄りました。 そして迎えた3日目。強風から徐々に風が落ちていき、最後は軽風から微風になる中、4レースが行われ、僕らは2-1-1-1と突っ走りました。 死中に活を見いだす 強風で沈んだ僕らが、軽風で息を吹き返すとは、誰も予想しなかったに違いありません。この日に限っては、まったく後ろを走る気がしませんでした。ちなみにこの日、僕はコンパスを見ていません。 この日でワンカットが入ったこともあり、総合順位も一気に4位にジャンプアップ。この勢いなら、最終日に大逆転もありうる。本気でそう思っていました。 が、最終日は朝から無風。そのままタイムアップで、順位が確定しました。 - - - - - - - コンビ結成から、全日本ではなかなか成績が上がりません。 勝ちたいと思ってない訳じゃありません。やはり全日本チャンプにはなりたいし、負ければそれなりにショックを受けます。が、僕らの目標は日本で勝つことじゃありません。アテネに日の丸を揚げることです。 そのための糧になるなら、悔しい思いも決して無駄じゃありません。 最終選考まで残り半年を切りました。 みなさん、これからも僕らに力をください。 sailfast | Profile | NEWS | Photo | Diary | Link | BBS | Shop |
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