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セーリング連盟の機関誌「J-Sailing」の45号に、二宮隆雄氏の「日本ヨット界の私的改革案」が掲載されていました。泥のOPに木の葉のセール、木のマストに木綿の帆で体を鍛えよ、そして大学ヨット部OB会の改革。痛快な語り口に、我が意を得たりと膝を打った人もたくさんいらっしゃるでしょう。 僕もその一人です。二宮氏の改革案には極端な部分も多々見られましたが、いまの日本ヨット界を改革していくには、これまでの慣習や、ほんの一握りの人間の既得権を打ち壊していく必要があります。生ぬるいことばかり言ってても始まらん!のです。 ヨットに限らず、全てのスポーツにおいて、ジュニア・ユースの指導以上に重要な課題はありません。サッカーの隆盛と野球の衰退が、それを証明しています。 最近のサッカー少年の中には、小学生の時からJリーグの下部組織でプレーし、中学生になれば、U-15の日本代表として、ブルーのユニフォームを着て国際大会でプレーする選手、高校でA代表に入る選手だっています。正月の高校選手権で国立に行くことが目標だった時代とは、選手の意識の高さは比べ物になりません。 かたや野球はどうでしょう。長い伝統に縛られ、一部の既得権を持つ大人が幅を利かせ、プロ選手さえも振り回されています。リトルリーグや、小中学校のクラブ活動で汗を流す野球少年の夢を壊す愚行を繰り返していては、野球に未来はありません。 新聞社が利権を握る高校野球。別の新聞社が選手を買い漁るプロ野球。そこにはジュニアからの一貫した教育体制などありません。もしあれば、高校野球も木製バットに変わるでしょうし、甲子園での常軌を逸したエースピッチャーの連投も無くなるはずです。人気にあぐらをかいた野球界の凋落は、年金制度の崩壊と同じぐらいの確率で進行するでしょう。つまり、ほぼ間違いない。 話をヨットに戻しましょう。僕らは今年、2月からクロアチアで合宿をし、厳しい寒さの中でも笑顔で出艇していく沢山のジュニアセイラーに出会いました。ユーゴスラビアから独立してわずか10年あまり、人口400万の小国でありながら、クロアチアのジュニア指導体制には、目を見張るものがありました。 マリーナには、いつも沢山のジュニアセイラーがいましたが、指導は専属のコーチに任されていて、選手の親を見ることはありませんでした。フネの艤装はもちろん、マークボートの準備もすべて子供たちが自分でやります。自分の体よりも大きなマークを運んでいる姿は、後ろから見たらマークが勝手に動いてるみたい。遠征に行く時は自分たちでフネを積み、帰ってきたらフネどころか車も子供が洗う。しかも楽しそうにやるんですよ、みんな。やらされてる感がまったくない。 コーチは常に子供たちを見てるけど、決して威圧的じゃなく、むしろすごくフレンドリーで、子供たちの人気者です。だけど仕事は子供がやる。サボるとコーチに怒られる。子供がやるのが当たり前なんですね。子供たちもヨットに乗るのと同じぐらい、楽しみながら陸の仕事をしてました。 そしてその中からは、恐るべき才能を持った少年が育っていました。僕らが3月のクロアチア合宿を締めくくった、あのローカルレース。2位だったけど満足だったと書いたあのレース。優勝したのはなんと、17歳の少年でした。(あまりに恥ずかしくて書けなかった) スキッパーの子は名前をSime Fantelaといい、2000年のOPワールドチャンピオン。OPからそのまま470にステップアップした彼に僕が初めて会ったのは、2002年のスパレガッタでした。桟橋でフネを押さえるその姿は、まさに子供。15歳だから無理もありません。そのあまりの幼さと、不釣り合いな鋭い眼光が印象的でした。こんな小さな子が470に乗れるのか?と思いきや、しっかりゴールドフリートに残るもんだから、もうビックリ!なんだこの子は!? それから各地の大会で見かけるたびに、彼の身長はタケノコのように伸び、あっという間に僕を追い越してしまいました。成績も伸び盛りで、2003年の470ジュニアワールドで優勝。あのザダールのローカルレースでも、最終日15m/sオーバーのサバイバルコンディションで、僕らを抜いてトップフィニッシュし、優勝を決めました。 信じられますか?世界には15m/sで石橋/後藤組を抜く17歳がいるんです。 長くなってきたので、今日は問題提起だけにしておきます。みなさんの考えをBBSで聞かせて下さい。僕の私的改革案は、もったいぶって次回更新に。 ところで今週末は、西宮でJ/24に乗ります。なんとワールド優勝艇のスレッドです。ドキドキ・・・
470ヘルムスマンとしてのデビュー戦、国体予選が終わりました。結果はなんと優勝。10月に埼玉の渡良瀬で行われる、さいたま国体の福岡県代表に選ばれました。ヤッホー! 大学を卒業してからの7年間、470クルー専門でやってきたので、ティラーを握ってのレースは7年ぶりです。しかも470は初体験。 不安は大きいとはいえ、7年間ただぶら下がっていたわけじゃないんだから、スピード感覚やセールを見る目は鍛えられているんじゃなかろうか。という希望的観測のもとに、ちょいと自分を試すつもりでの参戦でした。 問題は体重。なにせ僕の体重が、不動の72kgを保ってしまっているので、二人合わせて144kg。軽風の練習では女子大生にも歯が立ちません。勝てるとすれば強風のみ。微風はすなわち、死を意味します。 まさに神頼み、風頼みの予選当日、朝から北東の素晴らしい風が吹いてるじゃないですか!いい感じじゃん。これならイケそう。まさに希望的観測と楽観主義のカタマリ。しかしやはり、軽風で4日間チョロチョロッと練習しただけの付け焼き刃では、すぐにボロが出ました。当たり前です。 第1レースのスタートで詰め殺され、右に逃げたら左にシフト。18艇中の13位で1上を回航してしまいます。しかも、リーチングでさらに抜かれるし!ウソ!?ヤバイじゃん!! 「ああ、やっぱりもうちょっと練習してからじゃないと厳しいな。ま、いまさら焦ってもしょうがないか。久しぶりのティラー持ってのレースを楽しみまっしょ。ふふん♪」 早くも気持ちの切り替えを始めていた僕ですが、クルー(エスピー・セーリングの柳川祥一)にとっては、県予選で負けるなんてシャレになりません。去年の静岡国体で優勝しているチャンピオンクルーです。 「ああ、やっぱり後藤さんにティラー持たせるんじゃなかった・・・」 なんて言われるのは120%間違いない。いや、すでにそう思ってるんじゃないか!? クルーの無言のプレッシャーを背中に感じながらも、奇跡的に順位を上げ、3位でフィニッシュ。そして残りの3レースは、風速がどんどん上ったのに助けられ、全てトップフィニッシュ。なんとか面目を保つことができたのです。ああよかった・・・ ほっと胸をなで下ろすと同時に、懐かしい感覚を思い出しました。純粋に楽しかった!!全長わずか4.7mのフネの中で、あんなに違う世界があったことに驚きました。長いオリンピックキャンペーンの中で、ヨットレースのこういう楽しさを忘れかけていたんですね。いや〜楽しかった。国体本番までには、人前に出て恥ずかしくないレベルを目指して頑張ります。 さて、それはそうといくつか報告があります。まず、僕らの中古艇を売り出しました。昨年10月に進水し、オリンピックウィークとオーストラリア遠征を戦っただけの新古艇です。興味のある方はここをクリックして下さい。 支援Tシャツ2004は、おかげさまで大好評をいただき、全サイズとも完売しました。ありがとうございました。2003とJrサイズに若干の残りがありますが、近日中にTシャツ販売コーナーを終了する予定です。 フネが売れて、Tシャツの販売を終了すれば、このアテネキャンペーンの精算も終わります。あらためて見返してみると、4年間で4000万円(!)ほど使いました。 仕事をしないでヨットだけに生きて、しかもオリンピック代表を逃したにも関わらず、なんとか借金無しでキャンペーンを終えられそうです。これはまさに、支えていただいたみなさんのおかげです。sailfast支援Tシャツの販売数は、のべでなんと6000枚を超えました。1枚3000円をかければ、いかにこの支援が大きかったかがお分かりでしょう。 この支援Tシャツは、(株)豊島の力丸氏による生地提供、(株)エキップの大沼氏による鮮やかなプリント無くしては生まれませんでした。いままで一度もお名前が出たことはありませんでしたが、sailfastの最大のサポーターは両氏でした。本当にありがとうございました。 北京以降のオリンピックを目指して、キャンペーンをしたいと考えている若い選手で、僕らのキャンペーンの決算内容を参考にしたい方は、僕にメールください。熱心な若いセイラーには、よろこんで公開します。 さてさて、現実逃避の国体予選も終わっちゃいました。そろそろ就職活動しなきゃ・・・
4泊5日のお礼行脚の旅が終わりました。名古屋→横浜→東京→仙台と移動しながら、スポンサーやセーリング連盟、その他お世話になった方々に、選考の報告と4年間のお礼をして来ました。 いや〜疲れた。ある意味、いままでで最もしんどい遠征でしたね。しんどかった。 なにせ、これまでと違って飲むわ食うわ。勧められるままに胃袋に流し込み、あれやこれやとよもやま話。連日、夜中の3時4時まで熱く人生を語り、最後の仙台ではもう、ヘロヘロになってしまいました。家に帰ってきて体重計に乗ったら、出発前より2キロ増えてるし・・・あんなに体重が増えなくて苦労してたのがバカみたい。な〜んだ、こうすれば良かったのか! バカ話はさておき、たくさんの方と話をして、自分たちがいかに期待されていたかを、あらためて実感しました。こんなにたくさんの方々から応援されたこと。それだけで素晴らしい。一生の誇りです。 ただ、やはり代表になりたかった。代表になるとならないでは雲泥の差です。オリンピックに出るか出ないか。よしんば出たとしても、メダルを獲るか獲らないか。競技スポーツである以上、評価のされ方は非常にデジタルです。勝負の世界は非情の世界。逃した魚は大きかった・・・ 負けてからこっち、ありがたいことに、いろんな方からフネに乗らないかと誘っていただきました。ビッグボートや、マッチレース、スナイプ、そして470など。この週末はレーザーの九州大会の運営を手伝いながら、隙を見て乗り変わり、レースに参加したりしてました。(←どんな隙だ!) ヨットは470だけじゃないし、目標はオリンピックだけじゃない。もっと楽な気持ちで、純粋にセーリングを楽しむことが、いまの僕には必要な気がします。いろんなフネに乗りたい。もう一度自分の中で、あの熱い気持ちがフツフツと沸いてくるまでは、まだまだ時間が必要です。 海の上にいられるだけで幸せだった、ヨットを始めたあの頃のような気持ちで、心からこのスポーツを楽しみたいと思います。楽しみの中から沸き起こってきた欲求に従って、これからの自分の行き先を決めます。 まず手始めに、6月13日、福岡県の国体予選に、470のヘルムスマンとしてデビューします。 sailfast | Profile | NEWS | Photo | Diary | Link | BBS | Shop |
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