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関/轟組が、見事に銅メダルを獲得!
女子の吉迫/佐竹組も最終レースでトップフィニッシュし、総合11位で終えました。
代表のみなさん、お疲れさまでした!

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1999-2004

World Championship 2004

順位 Sail No 選手 1R 2R 3R 4R 5R 6R 7R 8R 9R 10R 11R 12R 合計
1 AUS 311 Wilmot/Page 1 1 10 2 9 4 19 11 23 2 1 3 44
2 SWE 317 Molund/Andersson 1 4 3 6 15 2 3 1 21 18 7 9 51
3 GBR 811 Rogers/Granfield 2 18 5 10 4 5 8 15 3 3 9 5 54
4 FRA 2588 Philippe/Le Belle 1 1 1 13 13 6 1 OC 2 6 12 25 56
5 ISR 7 Kliger/Gal 5 11 5 3 3 4 7 13 4 11 4 27 57
6 POR 22 Marinho/Nunes 3 BF 6 10 1 3 9 26 1 9 19 6 67
7 UKR 7 Braslavets/Matvienko 2 3 1 5 1 7 12 30 29 29 2 8 70
8 CRO 111 Basic/Cupac 7 2 4 1 10 10 21 8 13 12 3 18 70
9 GRE 131 Kosmatopoulos/Trigonis 4 1 9 11 2 9 10 25 9 20 16 1 72
10 ARG 70 Conte/De La Fuente 4 4 3 19 20 3 25 4 5 10 10 10 72
17 JPN 4011 関/轟 8 9 2 4 17 1 6 18 20 26 21 16 101
26 JPN 3655 三部/高村 10 OC 17 8 2 13 23 32 7 25 23 14 142
30 JPN 4154 石橋/後藤 16 8 23 10 9 12 15 10 27 33 22 33 152
31 JPN 3967 松永/牧野 25 7 24 11 3 12 26 23 14 24 28 20 163
34 JPN 4150 中村/山田 10 14 17 6 29 10 30 31 32 30 30 19 195
43 JPN 4100 吉峰/中村 17 15 24 15 5 17 8 12 18 8 20 12 127

参加102艇 赤字はカット順位
2004年5月10日〜16日
Sailing Club Uskok
詳しい成績はここをクリック

アテネの海に日の丸をあげる、その通過点になるはずだったこの大会で、僕らの夢は潰えました。4年半の長きにわたる石橋/後藤組の挑戦は、エーゲ海ではなく、アドリア海で幕を下ろしたのです。7日間の苦闘の模様をあます所なくお伝えします。長くなりますが、最後までおつきあい下さい。

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大会はいつものように、前半3日は全体を3つのグループに分けて6レース予選をし、その成績からゴールド・シルバー・ブロンズの3グループで4日間決勝を戦うフォーマットでした。つまり、予選で全体の上位3分の1に入れなければ、ゴールドに残った選手を抜くことは出来ません。

初日、3〜4m/sの軽風の中、緊張の予選第1レースがスタート。消極的なコース取りで集団の真ん中を走り、16位フィニッシュ。第2レースは少しリラックスし、8位フィニッシュ。このままなら初日としては無難な出だしでしたが、それで終わってはくれません。予定を延長しての第3レース、途中までラダーにビニール袋を引っかけて走ってしまい、無念の23位フィニッシュ。初日からカットレースを作ってしまいます。

同様のコンディションで2日目、第4レース。思いっきりシフトの反対を行き、1上を20番回航するものの、その後なんとか10位まで上げてフィニッシュ。そして第5レース、またもシフトの反対を行き、1上を27番で回航!しかも風は大きく左にシフトしていて、ほとんど片上りの抜き場のない状態でした。まさに絶体絶命。20位でフィニッシュしても予選落ち決定という状況下、冷静に風を読み、神懸かり的に順位を上げ、9位フィニッシュ。あっぶね〜〜〜!!

予選5レースを終えた時点で32位。予選落ちのデッドラインは35位なので、ハラハラドキドキの状況は続きます。僕らだけでなく、この時点で17位だった関/轟組を除けば、日本の残り5艇は26位から40位に集中していて、一人も気を抜けない状況。上手くすれば全艇ゴールドに残れますが、下手すれば予選で終わってしまう恐れもありました。

それぞれの4年間を賭けて挑んだ予選最終日。コンディションはまたも軽風。たった1レースがこんなに重い経験は過去にありません。1上順位はまたも20番代。後ろのフネの方が少ない!う〜〜〜やばい!終わってしまう!!

しかし2上で左へのシフトを的確に読み、11位までジャンプアップ!よし、このままならイケる!集中しろ、集中だ、最大限の集中だ。先行するアメリカを抜き、下マークへ最後のアプローチのジャイブをしようとしたその時!風は無情にも一気に右へシフト。1艇抜いたつもりが10艇抜かれる状況に激変。ウソ!?

イヤまだだ、最後の最後まで何が起こるか分からない。あきらめたら負けだ。冷静に風を読め。そう自分に言い聞かせて海面を見つめますが、ヤバイ状況になんら変わりはありません。ああ終わってしまう〜。頼む、神風よ吹いてくれ〜〜・・・

一気に風速が落ちて、時間が止まったかのようなレース海面を、1艇のコミッティーボートが横切りました。青と白のチェッカーフラッグ。え?やった!!ノーレースだ!!!!

予選の第1グループだけはレースが成立したものの、あとの2グループがノーレース。その後、風は吹いては落ちをくり返し、日没直前にやっとスタートしたものの、1マーク手前で風が落ちて再びノーレース。ちなみにこの時も僕らは死んでました。

結局3日目を終えて、1グループのみが6レースを消化、残り2グループは5レースという状況になり、4日目に予選が延長されることになりました。キリキリと胃の痛い夜が続きます。

迎えた4日目。ブラと呼ばれる東からの陸風が7〜8m/s吹いています。いい感じ!この風なら大丈夫だ!とばかりにスタートしたのですが、思いっきりシフトの反対を突っ走り、なんと1上を30番回航。トップは遥か彼方に霞んで見えます。ヤバイ、今度こそヤバイ!!

ついに命運尽きたかと思いきや、風のシフトがそのまま止まらず、またもノーレース。ここまで続くと、僕らの順位が悪いからノーレースになっているとしか思えません。神様ごめんなさい。次こそ前走るから。

この時、もう一つの海面では予選第3グループの第6レースが成立。残るは僕らのグループだけです。風は一向に安定せず、スタートをするも4度目のノーレース。一度陸に上がって風待ちになりました。

神様は、最後の役者が揃うのを待ってる。僕らが前を走らなきゃ予選が成立しない。そうに違いない。ついに入った北からの5m/sの風の中、1上を5位で回航。おりゃーパンプ、パンプ、パンプ。下マークを3位回航!よし、これでイケそうだ!

しかし、気を緩めてはいけません。調子に乗って相手をカバーせずに走って何度痛い目を見たことか。多少抜かれてもいいから確実にシングルで入らなきゃ。確実に、確実に。

ここが今レガッタの一つの象徴でした。予選通過が確かでない僕らは、守り守りの走りでズルズルと順位を落とし12位フィニッシュ。すでにゴールドが確定している関/轟組は攻めの走りでトップフィニッシュ。僕らもゴールドフリートに駒を進めはしましたが、日本人トップを行く彼らとの差はさらに開いてしまいました。

もう失うものなど何もない。一度は、いや五度は死んだ命。何を今さら恐れることがあろうか。決勝では悔いの残らない、思い切ったレースをする。そしてレースを楽しむ。そう固く心に誓いました。

5日目。決勝初日。右へ左へと目まぐるしく風が変化するトリッキーなコンディションの第7レース。思いっきり良く左に突っ込んだ僕らをあざ笑うかのように、風は右へシフト。1上を30番手前で回航。うまくいかないもんです。が、ダウンウインドで後ろから風が入り、一気に集団は団子状態!チャーーーンス!

2上で一気に17位まで順位を上げ、2下で16位。しかし最後まで気は抜けません。最後のリーチングレグで風はパタリと無くなりました。ん?イエローフラッグが揚がってたぞ・・・ということは・・・、おりゃ〜〜〜!!一大ロッキング大会が始まりました。みんなばっさばっさと、力の限りフネを揺らして進んでいます。負けるもんか!!さらに1艇抜いて15位フィニッシュ。ゼーハー、ゼーハー・・・。冗談抜きで酸欠状態になった選手もいました。ヨットレースは過酷です。

さあ気を取り直して第8レース。今度こそはと左に突っ込んだものの、無情にも風はまたも大きく右へ。ビリ2番で上マークを回航!もう、たまらーーーん!!

またも後ろから追い上げる展開になったものの、この方が落ち着いて風が見えるから不思議。面白いようにシフトをつかみ、フィニッシュは10位にまで上りました。まだだ、まだ死んでない。

なんで2上で順位を上げられるのに1上があんなに悪いんだろう。よし、2上のつもりで1上を走ろう。そう自分に言い聞かせ、第9レースは1上を15位で回航。よし、これならシングルまで上がれる!!と思ったら大間違い。逆に大きく順位を落とし、27位フィニッシュ。ぎゃふん!!

日本人トップをひた走る関/轟組との差は33点。徐々に苦しくなってきましたが、ゴールドフリートでは何が起こるか分かりません。なにがあっても最後まであきらめない。最後に勝つのは自分たちだ。負けだと思ったヤツが負けるんだ!!

そしてついに6日目。待望の風が吹きました。7〜9m/sの最高のコンディション。国内どころか、世界でも誰にも負けないと思っている、最も得意なコンディション。来た!ついに来た!

が、この日の3レースともスタート良く飛び出したものの、集団を抜け出せない。置いていかれる。ずるずる抜かれる。おかしい。何かがおかしい。

神様のプレゼントともとれる、最も得意な風域でした。この風だけは誰にも負けない。負けたくない。そう思っていた風でした。実際、他の日本チームは軒並み順位を崩しました。が、僕らはさらにその後ろだったのです!これがプレッシャーか。こんなにも自分の走りが出来なくなるものなのか・・・

失意のまま陸に上がり、僕らは信じがたい現実に直面します。なんとハッチを開けるとフネの内部タンクに大量の水が入っていました。もしやと思ってフネをチェックすると、バウのポート側のガンネルに長さ40cmほどクラックが入り、パックリ開いているではないですか。海上にいる間中、ここから水がジャンジャン入っていたのです。時間が経つにつれてフネが遅くなっていったのも当たり前です!!

「あの時だ」
すぐに思い当たりました。

前日の第8レースのスタートで、僕らは風下のデンマーク艇と接触しました。風も弱く、接触の程度も軽かったのですが、僕らが彼らに乗り上げる形だったので、すごくイヤな音がしました。いま思い出しても、あれはすごくイヤな音でした。だからその日陸上で、ガンネルが割れていないかチェックしたんですが、見た目に大丈夫だったので、安心していたのです。

おそらく、その日はほんの髪の毛ほどのクラックだったのでしょう。それが次の日の強風でパックリ開いた。よくある話です。よくある話だけど、なぜいまこの大事な時に??見逃した自分が許せない。許せないけど、見逃してしまった。ギリギリの戦いの中で、それに気づけるだけの余裕がなかった。悔やんでも悔やんでも、後の祭りです。

その日の成績で、僕らがアテネ代表になる可能性は無くなりました。何があっても最後まであきらめないと、そう自分に言い聞かせ続けてきたのに、最終日を残してあきらめざるを得ない状況になりました。

フネを修理し、アパートに帰ってから悔しさが込み上げてきました。なんという情けない負け方。悔しくて悔しくて、感情を抑える事が出来ません。

選考には負けてしまったけど、最後まで自分たちらしいセーリングをしよう。最後は支えてくれたスポンサー、サポーターのみなさん、友達、そして家族のために走ろう。そう言い聞かせるしか、もはや自分をコントロールすることが出来ませんでした。

そして最終日。雨ベタで出艇しないままノーレース。男子470級の日本代表は、関/轟組。女子470は吉迫/佐竹組に確定しました。

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長く、苦しい戦いでした。最後、締まらない形で負けてしまいましたが、運が悪かったなどとは思いません。むしろメチャクチャ運が良かった。予選で負けてしまっても少しも不思議じゃなかった。神風は十分吹いたんです。それでも勝てなかった。他の誰でもなく、自分が悪い。

それよりも勝った2組を讚えなければいけません。僕らよりも彼らの方が代表にふさわしかった。素直にそう認めます。代表にふさわしい選手が、誰にも文句をつけられない形で勝った。素晴らしい選考レースでした。日本の470の歴史上、こんなにキレイに決着がついたことはありません。

実は選考レースの直前、日本のナショナルチームのもとに悲報が舞い込みました。ここまで日本のナショナルチームを率いていただいた、松田健次郎アテネオリンピック特別委員長が亡くなられたのです。くも膜下出血とのことでした。

アテネの海に日の丸が上がるのを、誰よりも楽しみにしていらした松田さん。その思いに恥じないよう、正々堂々と戦おう。素晴らしい選考レースにしよう。ナショナルチーム全員にその思いがあったはずです。5艇もゴールドフリートに進めたのは世界で日本だけです。繰り返し言います。素晴らしい選考レースでした。

ここまでの敗者の思いを僕らが引き継いだように、僕らの思いは、勝った彼らが引き継いでくれるでしょう。アテネの海に日の丸が上がれば、負けた僕らもどれだけ誇らしいか。松田さんもきっと喜んでくれます。

僕らは力の限り戦い、そして敗れました。
悔いはあるけど、夢だけに生きたこの4年間に未練はありません。

期間中、毎朝BBSを見てから出艇していました。どんなに苦しい状況でも、最後まであきらめない。そう思い続けられたのは、みなさんの応援のおかげです。本当にありがとうございました。

僕らを負かした日本代表のアテネでの活躍を、一緒に応援しましょう。
アテネの海に日の丸。きっと上ります。頑張れニッポン!

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