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アジア大会代表兼ナショナルチーム選考レース
2001年12月19日〜24日 28年生きて来ましたが、こんなにつらいクリスマスイブは記憶にありません。 選考レースの結果は、16艇中の3位。 コンディションは期待通り、全てのレースが、北西の季節風の中で行われ、予定17レース中の、13レースを消化することができました。全レースをざっと振り返ります。 レガッタ前半、僕らはまさに「絶好調」でした。トライアルレースから4連続で、1上をトップ回航。が、フリーのスピードが悪く、なかなかトップが守れません。初日3レースを2−1−2で終えます。もちろんこの時点ではトップです。 2日目、第4レース。1上をまたもトップ目でアプローチ。高木艇の前を通れるかどうか?きびし〜〜。うわ、タック!な、なんと沈。 急いで沈を起こし、そこから意地の追い上げで、4位フィニッシュ。ふぅ〜〜 そして第5レース。1上を2位で回航したのに、コースがまずく、ズルズルと順位を落とし、7位フィニッシュ。って、沈より悪いやんけ!! はぁ、はぁ、気を取り直して、第6レースは2位。この日2−1−1と突っ走った、関/轟組に抜かれ、2点差の2位に落ちます。 3日目は雨ベタでノーレース。 そして迎えた4日目。朝から北西がピューピュー。 10m/sオーバーのこの日、3−1−3で走り、トップと1点差に追い上げた。かと思いきや、なんと第7レースがリコール。せっかくの3位がカットレースに。い、痛て〜〜!トップとは3点差。 5日目。第10レースは、1上で右に突っ込みすぎ、7位フィニッシュ。トップと5点。 そして迎えた第11レースが、今レガッタを象徴する展開でした。1上をトップ回航したものの、フリーで関艇と中村艇に抜かれ、3位フィニッシュ。トップと7点差。 蒲郡のチョッピーな波の中、両艇は巧みなステアリングと、ダウンウインドタッキングで、確実に順位を上げていました。今回の一番の敗因はここにありました。 最終日。第12レース。気合い一発、スタートから素晴らしいスピードで抜け出し、ダントツフィニッシュ。関艇は4位。つまり僕らと4点差。 彼らの捨てレースは5位なので、仮に最終レースで僕らがトップで、彼らが5位以下だったら、同点になり、 と、優勝のことばっかり考えて、3位の中村艇の得点計算を、僕らは間違っていました。同点でも勝ちだと勘違いしていたのです。バッカだなぁ我ながら。ホンットに。 優勝狙いで突っ込み、ドツボって10位フィニッシュ。そして中村艇がトップ、関艇が2位。終わってみれば同点で3位に落ちていたのです・・・ 悔しい。こんな悔しい思い、久しぶりです。これほどまでに入れ込んでヨットレースをしたのは、生まれて初めてでした。泣こうが喚こうが、失ったレースはもう戻りません。僕らは3位。それが現実です。 でもこれから先、アテネまでの道のりで、今回よりもっと、精神的に入れ込まないといけない時が、必ず訪れます。どんな状況下でも、自分の力を出す。これができなければ、せっかく練習したことも、全て水の泡です。 そういう意味では、今回のレガッタは、今までで一番いい練習になりました。 さぁ、気持ちを入れ替えて。手に入れたナショナルチームの肩書きに恥じないよう、また練習練習です。 次の目標は? 2002年も、僕たちの挑戦を応援してください。 sailfast !
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